7月のテーマ『食』
今月は、普段食べている物をじっくり観察しました。食べ物を科学的な視点で見ると、調理工程でのちょっとした工夫や、食べているときにはわからない生き物としての姿が見えてきます。
〇試したくなる?食材を使って大実験
ここでは、家庭でもできる食材を使った科学実験をご紹介しましょう。
ずばり「色がわり焼きそば」です。その名の通り、途中で色が変わる焼きそばです。もちろん、ちゃんと食べられますよ。
材料は、中華麺、ターメリック(ウコン)、ウスターソースです。
作り方
①中華麺をやや多めの水で炒めます。
②麺がしんなりしてきたら、ターメリックを振りかけ、良く混ぜます。
③最後にウスターソースをかけてよく混ぜます。
さて、何か起きたでしょうか。
黄色い中華麺を炒め、ターメリックを振りかけたところ、色が真っ赤に変色しました。これには2つの要素が関わっています。
1つ目は、中華麺に含まれる「かんすい」です。かんすいは、食品添加物で、炭酸ナトリウムと炭酸カリウムの混合物です。小麦粉に混ぜることで、やわらかさや弾力性(こし)を出します。中華麺を茹でた際に出る白く濁った水は、かんすいが溶け出したものです。この水溶液には、アルカリ性の性質があります。
2つ目は、ターメリックに含まれる色素成分「クルクミン」です。
クルクミンは、酸性、アルカリ性によって色が変わる性質があります。
下の図は、クルクミンの変色域を示したものです。
pHが8.6以上のアルカリ性のものと混ざると、赤く変色します。
色変わり焼きそばは、かんすいが溶け出したアルカリ性の水溶液に、クルクミンが混ざることで、真っ赤に変色したというわけです。
ここに酸性のウスターソースを加えると、pHが8.6以下になるため麺は元の色(実際は、ソースの色)に戻ります。
味はカレー風味の焼きそばです。
夏休み、みんなでワイワイ作ってみるのはいかがでしょうか。
pHや指示薬について、過去のブログも良ければご覧ください。
浜松科学館ブログ 「pH指示薬と変色域」
〇ウナギの体表にある小さな「うなぎパイ」
日本有数の二ホンウナギ(以下、ウナギ)の生産量を誇る浜松。浜松にお住まいの方は、ウナギを食べたり、写真やイラストを目にしたりする機会があると思います。
では、ウナギは何を食べるのでしょうか?
ヌメヌメしたイメージがありますが、ウロコはあるのでしょうか?
どこで産卵して、どんな一生を送っているのでしょうか?
私たちはウナギのことを意外と知らないのかもしれません。
電子顕微鏡で観察してみましょう。
ウナギの歯
ウナギはエビやカニ、水生昆虫などを食べる肉食性です。上顎や下顎には長さ400㎛ほどの歯がびっしりと並んでいます。この歯によって獲物を捕らえ、逃げられぬように保持して食べているのですね。
ウナギのウロコ
ウロコは表皮に埋もれていて、外からは直接見ることはできません。表皮の一部を剥がした図3にある米粒型のタイルのようなものがウロコです。
ウロコの配列ならば表皮越しでも観察することができます。その配列は独特で、まるで「うなぎパイ」のような模様を描きます。
ウナギの耳石
ウナギは日本から2000km離れた外洋で産卵し、孵化した稚魚は海流を漂いながら日本にたどり着きます。そして海から川を上り、淡水の環境下で大きく成長するのです。ウナギの産卵場所は長年の謎でしたが、2008年に初めて採卵され場所が特定されました。
産卵場所の特定の鍵となった骨が「耳石」です。耳石とは頭部に埋め込まれている平衡感覚を司る骨です。耳石には微細な層があり、1日1層、層が追加されていく性質があります。外洋で採集されたウナギ稚魚の耳石を調べることで、孵化後何日目かを確かめながら産卵場所の候補地が狭められ、発見にいたりました。
今年の土用の丑の日は7月30日。
ウナギを食べる機会がありましたら、数千キロの旅をしてきた目の前のウナギに手を合わせて、皮膚と肉の間のウロコを想像しながらじっくりと味わってみてください。
○もうすぐ土用の丑!幻のうなぎ座
土用とは、立春・立夏・立秋・立冬前のおよそ18日間のことで、今年2023年は7月20日が夏の土用の入りとなります。
また、昔は日にちを十二支(子・丑・寅…)で捉えていたため、12日に一度「丑の日」があり、今年2023年の土用の丑の日は7月30日となります。
夏の土用の頃は暑くなって夏バテしやすく、昔から「うなぎ」には栄養があって夏バテ防止に良いとされていたことから、「土用の丑の日にはうなぎを食べよう」というキャッチコピーが広まったという説があります。
さて、かつて浜松名物でもある「うなぎ」の星座があったことをご存知でしょうか?
今では使われていないので、「幻の星座」となっています。
そもそも星座はどうやって決められたのでしょうか?
現在の星座の原型は今から約5000年前、メソポタミア地方で誕生したとされています。
メソポタミアとは、ギリシャ語で「二つの川の間」を意味します。
「チグリス川とユーフラテス川」の間で生まれた文明を「メソポタミア文明」といいます。
そのメソポタミア文明で生み出されたものの1つが「星座」です。
紀元前800年頃のものと考えられている「ムル・アピン」と呼ばれる粘土板には、いくつかの現在の星座の原型となるものが刻まれています。
メソポタミアで誕生した星座は周辺の地域に伝わっていき、さらに新しい星座も考えられて数を増やしていきます。
星座はギリシャにも伝わり、アレンジされて神話と結びつきました。現在でも星座といえばギリシャ神話のイメージが強いと思います。
それを整理してまとめたのが、古代アレクサンドリアの天文学者プトレマイオス(トレミー)です。
プトレマイオスは星座を48個にまとめました。「トレミーの48星座」と呼ばれていて、そのほとんどの星座が現在でも使われています。
しかし、北半球からは、地平線や水平線の下に位置する南半球の星空は見ることができません。そのため、この時代には南半球の星空には星座がありませんでした。
今から約500年前に始まった大航海時代に、ヨーロッパの人たちが船で南半球に行き、新しい星座が作られました。南半球の珍しい動物や船乗りたちが使っていた道具などが星座になりましたが、南半球の星座は新しいので神話がありません。
1700年代後半には星座ブームが起こり、天文学者たちが新しい星座をたくさん作るようになり、一時期100個を超える星座ができてしまいました。
一部の天文学者たちは王様に気に入られようと、「フリードリヒのえいよ座」や「ゆりのはな座」など王様に関する星座を作りました。
地球儀の星空版ともいえる天球儀には、時代ごとの星座が描かれており、現在とは異なる星座の世界があります。
一方で天文学者たちが自分勝手に星座を作ることを快く思わなかった人々もいました。
風刺のきいた文章を得意とするイギリスの植物学者ジョン・ヒルは、自身の著作「ウラニア」で新しい星座を提案しました。ジョン・ヒルが提案した星座は、クモ座、ナメクジ座、ヒキガエル座など一般的に好まれない生き物でした。そのため、天文学者への当てつけではないかと考えられています。そのうちの1つに「うなぎ座」がありました。「うなぎ座」の位置は絵では描かれていませんが、文章で書かれており、「やぎ座」と「いて座」の上だとの記載があります。
このように各々が勝手に星座を作ってしまい、数が増えすぎたため、1922年に国際天文学連合(IAU)が星座の数を88個に定めました。
その時に、私的な理由で作られた星座は除外されたため「うなぎ座」も幻の星座になりました。
ただし、定められたのは星空の境界線だけです。境界内であれば、どんな星座の絵を描いても問題ありません。
浜松科学館オリジナルの星座絵は、オリジナルグッズにもなっていて人気があります。ぜひ皆さんも好きなように星座の絵を描いてみてください。
科学の視点から見た「食」の話、いかがでしたでしょうか?
このほかにも、お茶の葉っぱを使って葉脈標本を作るミニワークショップを実施し、ミュージアムショップでは、浜名湖グッズの販売を行いました。
テーマは『光:ヒカリを知ろう・感じよう』
ご来館、お待ちしております。
開催日:2023年7月14日(金) 毎月第2金曜日
参考資料:
『天文の世界史』廣瀬 匠著 集英社
『わかってきた星座神話の起源―古代メソポタミアの星座』近藤 二郎著 誠文堂新光社
『Urania: Or, a Compleat View of the Heavens』John Hill著 大英図書館所蔵